2022.11.14NEW
お疲れ様です。設計スタッフの白井です。
入社し8ヶ月が経ちました。新鮮な体験の連続で感覚が麻痺し一瞬にして経過したと感じる一方、冷静に振り返ってみると、いろいろな場所で多くの人と出会いたくさんの貴重な経験をさせていただいていることに気づき長かったなあとも感じます。(まだ季節も一周していない新人ですが)
入社当初はあわあわしていた電話対応や名刺交換も少しずつ身の丈にあった対応を覚えてきました。担当物件の各業者さんとの打合せにおける話し方や協議進行、プレゼンシート作成時における心得など、、、数え上げればきりがありませんが、実務における設計業務のアレコレも少しずつ覚えている最中です。
今と学生の頃の設計行為における最も大きな違いは、実務では制限が多い!ということです。何を当たり前のこと言ってんだという声が聞こえてきそうですが、事務所内で最も直近まで学生であった私からするとその制限がとても新鮮に映っているのです。(教育と実務での目的の違いは前提として)
学生の頃のA3用紙2~3枚できれいに整理された設計課題文と敷地図。当たり前のことだと勘違いして読み過ごしてきた"敷地の高低差はないものとする"などの文言。区画を意識して面積を計測したこともなければ、採光や排煙のために開口部面積を計算したことなど一切ありませんでした。
それが実務になると、お施主さんの要望はもちろん、敷地の高低差も当然あるし、土地の来歴、地盤の状況、延焼ラインなどの法規による物理的には見えない線引き、面積などによる区画の有無や、開口部の面積、各仕上げの性能、設備ルートの確保、照明の配置、構造との調整、予算に収まるかなどなど、、、世の建築家たちは、こんなにも、あちらを立てればこちらが立たずの中でバランスを保ちながらプロジェクト全体をより良い方向へ舵を切っているのだと驚愕しました。
行く手を阻む制限に困惑していた私でしたが、先輩との何気ない会話の中で出てきた「手使えるサッカー面白くないじゃん、自分より前にパスできちゃうラグビーも面白くないじゃん」の一言。
制限があることがゲームを面白く成り立たせているのだと仮定すると、設計時における様々な制限も設計行為を面白くし、設計案をより良い方向へ導くためのエンジンに他ならないことに気づきました。
私の好きな建築家の一人であるアトリエ・ワンの塚本由晴氏も著書『「小さな家」の気づき』の中でミニクーパーを例に同じようなことを書かれていることを思い出しました。(以下一部抜粋)
「だれもミニクーパーを小さいからといって批難しない。それはミニクーパーが小さいことによって、移動する身体と街を近くして、小さいことを運転する空間の楽しさに転じているからである」
一般的には克服されるべき否定的な制限である小ささを、大きくすることで解決するのではなく、小ささにしかできないことは何かを考え、制限を逆手に解釈することで得られる豊かさや楽しさを価値として提供することの重要性を書いています。(と、私は解釈しました。)
表紙カバーを取ると現れる「ミニハウス」の配置図がかわいい。
ともすれば、今私を困惑させている制限も楽しくて豊かで鮮やかで愛おしいものに見えてくるかというとそう簡単には行きません。
制限を豊かなものに翻訳するための解釈する力が必要となります。幅広い解釈を可能にするためには、柔軟な発想、知識や経験、基礎も応用もどちらもが必要となります。
残念ながら今の私にはまだそれらをコントロールする能力が身についていないので、今は立ちはだかる制限たちと親交を深め設計のアレコレを教えてもらいながら、もがいてみようと思います。
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